2016年01月05日

田平木峠

1月4日 おだやかな正月がやってきました、早速湯の口温泉へ行って
きました、超満員でした。
帰りに「天空の城」で評判の熊野の観光スポット赤木城へ寄りました。
タイミングのいい時にはモヤの中で城だけが浮かんで見え、自然の造形
美が楽しめます。
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山奥ののどかな風景にアンバランスな総石垣の堅固な城が出来たのには
陰惨な話が伝わっています。

豊臣秀長があの「太閤検地」で配下を送り込んだのですが、地元に存在
する有力者・地侍たちの猛烈な反乱に会い、うまくいきません、
そこで藤堂高虎を討伐軍の大将に任命して送りこんだのです。
地元の地理に詳しい反乱軍のゲリラ戦法に耐えられるべく強固な石垣の
城が出来たのです、「築城の名人」藤堂高虎の初期の作品です。

藤堂高虎は戦が劣勢であることを装いつつ反乱軍の主たる面々を赤木城
の落成祝いに来るように促し、363人もの一揆勢を田平子峠で斬首し
たと伝えられています。

「行けば帰らぬ赤木の城へ、身棄て所は田平子じゃ」の唄が残っており
ます。

城から300メートルほどの田平子峠にその慰霊碑があります。今も
地元の人達の献花があります。
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すぐ近くには丸山千枚田があります、検地を逃れる「かくし田」とのいわれが
あります、こんなことが北山一揆の源だったのかもしれません。
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戦国時代とは云えむごい話ですねえ、藤堂高虎を見損なった感です。





posted by tomisan at 17:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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