2016年01月20日

「心」打つ話

1月17日(日)午前中だけの仕事を終え、昨秋開通した新宮〜串本間の
高速道路を走ってきました、トンネルばかりで面白味はないのですが、こ
れで和歌山市までがうんと近くなりました。紀伊半島を周回する高速道路
は夢のような話だったのですが、どんどん現実味を帯びてきました、全線
開通が楽しみです。
串本町の観光スポット「橋杭岩」
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目の前の紀伊大島へは立派な大橋をわたります
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大島から串本港を望みます、
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大島を横断するように走った先が樫野崎で灯台やトルコ記念館があり、
今話題の日本・トルコ合作映画「海難1890」の発祥の地です。現地
でロケも行われました。

1890年9月 日本からの帰途強風にあおられたエルトウールル号は
紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突し600人もの人が投げ出され
たそうです。大島村の住民は総出で救助と介抱に当たります、台風で
大島村の住民も漁に出られず蓄えが僅かだったにもかかわらず、非常食
や衣類を提供し献身的に救助に務めました、死亡・行方不明者587名
という大惨事でしたが、大島村の住民たちのおかげで69名の方が生還
することができました。
ロケで使われた古民具や建物
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慰霊碑
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トルコ記念館
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記念館横から座礁した岩礁が見られます、手前から一番先の岩礁だそうです。
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以降125年 日本とトルコは友好国となりましたが、より絆の深まる
事がありました、日本・トルコ合作映画「海南1890」が生まれた
大きな一因です。

1985年3月 イラン・イラク戦争時のトルコからの恩返し
大統領サダム・フセインは40時間後をメリットにイラン上空を飛ぶ航空機
は民間航空機であろうと、いかなる国の機体であろうとすべて撃墜する、と
宣言します。
世界各国は自国民を救出するために救援機を出し自国へと退避させましたが
、日本政府は素早い決定が出来なかった為に、216人の日本人が空港に取
り残されてしまいました、イラン大使館の大使はトルコ大使館に窮状を訴え
ます、トルコは即座にトルコ航空をイランに派遣しタイムリミット僅か1時
間15分前にトルコ領空へ216名の日本人全てを退避させます。
この時日本大使はトルコ大使にこんなことを言われたそうです、
「あの時の恩を返す時がきた」

搭乗を日本人に譲りイラン空港に取り残されたトルコ人の中には徒歩で3日
間かけてトルコまで帰って来た人もいるらしい。

主演の内野聖陽は舞台挨拶でこの映画の主演は「心」ですと言っています。
助け合いの心、おもてなしの心、奉仕の心、日本人の心は素晴らしい。

この映画「海難1890」を観るときはハンカチは必需品だそうです。

インターネットって便利なものですね、こんな事あんな事が即座に調べ
られまたひとつ勉強になりました。



posted by tomisan at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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